其乃三.そして英雄が現れる
漢帝国の新しい支配者になったトウタク(董卓)だが、諸侯はこれに従う様子もない。物語では悪臣誅殺を企図したソウソウ(曹操)が宝剣を持参して暗殺を図るも失敗して遁走、皇帝直々の詔を受けたと吹聴して諸侯に決起を促したことになっている。実際にはソウソウはトウタクの誘いを蹴るととっくに都を離れていて、漁夫の利をさらわれたと憤る諸侯に呼びかけるとリップシュタット連合軍さながら連判状には名士の名が連なった。三公と呼ばれる長官職を四代にわたり排出した名門貴族のエンショウ(袁紹)が連合の盟主に担がれると、陛下の勅命だとして偽の詔が用意されて反トウタク連合が決起する。いわば別の穴にいたムジナがタヌキ討伐に大同団結した訳で、このような集まりを一般には烏合の衆と呼ぶ。
ソウソウは後に漢帝国を簒奪することになる魏王朝の礎を築いた人物で、当時、誰からも蔑ろにされていた皇帝を彼も蔑ろに扱うと、帝国の実質的な支配者になって立派な統治を行った人物だ。若い頃、警備隊長に赴任すると腐敗した都で厳しい取り締まりを行い、十常侍の親族も容赦なく棒で殴ったから栄転と称して厄介払いされている。黄巾討伐では一族の若い衆を率いて手柄を挙げた。後に近衛軍団に抜擢されるとエンショウにも信任された。都から逃れる際に、一夜の宿を貸してくれた一家を勘違いから殺害すると、早合点を知った後で追手がかからぬよう皆殺しにしたという逸話もあり、大事のために小事を犠牲にして平然としていられる人ではあったろう。
こんなソウソウだが外見はといえば風采のあがらない小男だった。武芸に長けて政戦両略にも通じる上に風雅で詩文や歌舞を好み、君主としては部下の才能を重んじて、芸人だろうが職人だろうが罪人だろうが有用な人物は等しく抜擢したという。こんな悪役ヅラのスーパーマンには物語の悪役こそ相応しいが主役になれるものではない。そう言われて怒るよりも冗談にして喜ぶのがソウソウという人物で、人相見に「君は治世の能臣だが乱世では奸雄だ」と言われてにやりとしたという。
こうして勇ましく決起した連合軍。目指すはもちろん都だが、正確にいえば欲しいのはトウタクの首なんかよりも皇帝陛下の御身である。全軍を合わせた数はトウタクを軽く凌駕するが、もちろん全軍を合わせるなんて芸当が諸侯にできる筈もない。軍勢こそ集まったが毎日酒盛りばかりして、呆れたソウソウが血気に任せて先陣に立つと皆は傍観するというのが彼らの基本戦略だった。トウタクにすればありがたい話でしかない。迎え撃たれたソウソウはあっさり敗れて撤退する。なんともお粗末な顛末だが、結果としてこの勇み足が後にソウソウを雄飛させる遠因にもなった。当人すら予想したことではないだろうが、しょせん寝坊助の耳に果報は届かないということだろう。
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ここで英雄が登場する。反トウタクを掲げて決起した連合軍は盟主エンショウを筆頭に、兵士を温存して漁夫の利を狙うという戦略を掲げていたが、誰も戦わないのにどうやって利を得るかはもちろん誰に聞いても分からなかった。とはいえ諸侯が手を組んで逆臣討伐を掲げたことに触発された者がいて、遠く長江の東から一路都を目指したのが誰あろう勇者ソンケン(孫堅)その人だ。信憑性は怪しいが孫子の後裔を自称して、海賊討伐、反乱鎮定、黄巾討伐など数えきれない武勲を挙げると「江東の虎」と呼ばれた叩き上げの武人である。地方武官から出世して戦功だけで爵位を得たような人だから、記録は乏しいが当時四海に名を知らぬ者はなく、自分を出世させてくれた帝国に忠誠を誓っていたのも当然だ。逆臣討伐と聞いた彼が腰を上げぬ理由がない。
勇ましいソンケンは長江を越えて北上したが、ちょっと勇ましすぎる彼はトウタクも反トウタク連合もお構いなく、途上にいる諸侯や太守を遠慮なく撃破しながら一路都を目指して進軍した。虎か熊かと言わんばかりに敵も味方も食い殺す、彼を助けたのがエンショウの従弟エンジュツ(袁術)だった。袁家の跡目も連合の盟主の座も従兄に取られてたいそう不満だった彼は、常日頃から従兄の悪口を言いふらすと、彼自身は高貴な生まれにふさわしい高貴な生活ばかりしていたから、謙虚でもあったというエンショウの声望が高かったのもうなずける話ではあった。もちろんエンジュツの声望が低いなんて面と向かって言いはしない。
都を守るトウタクが迎え撃つことになったのはただ一人で連合の先陣を率いるソウソウと、ただ一人で連合と関係なく進軍するソンケンだった。部下を二つに分けて当たらせると、ソウソウは退けることができたが勇者ソンケンは止まらない。物語に知られている、盃に注いだ酒も冷めぬうちに将軍カユウ(華雄)を斬ったのも実際にはこのソンケンだ。たまらず懐柔を試みても、逆臣討伐に燃える武人に鼻であしらわれるだけだった。猛獣に襲われる恐怖に駆られたトウタクはとうとう都を逃げ出すことを決意する。皇帝を引っ立てると洛陽の都を火の海にしてしまい、道中の陵墓に収められた宝物を掘り返しながら、前漢時代の旧都だった長安に遷都と称して逃げ込んだ。
焼け野原の廃墟に入城したソンケンは暴かれた墓所を修復する。物語ではこのとき伝国の印綬、玉璽を発見したとも言われているが真偽のほどは分からない。後漢末の混乱の中で玉璽が失われたことは確かだったから、その後てきとうに彫られた三文判が公文書に押されるようになるが、そもそも偽の詔が作られるような国で公文書にハンコが押してあろうがなかろうがすでにどうでもいいことだった。
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物語では回り灯籠のように矛と戟を交わす英雄たちの姿が語られることになる反トウタク連合軍の戦いだが、顛末にやたら不整合が目立つのはこうした事情による。有名な虎牢関での戦いなどそもそも行われもしなかった。活躍したのは連合とは無関係に進軍した英雄ソンケンだけだったし、洛陽からトウタクを追い出したのもソンケンだから、立つ瀬がない連合はなし崩しに解体した。とはいえこの戦いの結果、トウタクの権威は揺らいで偽の詔を掲げた連合の面子も丸潰れ、諸侯を糾合できる大義名分がこの体たらくだから世は独立と割拠に向かっていくことになる。
連合の盟主を任されたエンショウの家は三公と呼ばれる長官職を四代続けて排出した名門中の名門で、彼自身が十常侍在世の頃に近衛軍団の司令官に任命されると、宦官に代って皇帝直属の兵士を預けられたほどである。人となりが鷹揚で文にも武にも優れており、多くの人が彼を慕ったが、優柔不断のきらいもあった。連合の諸侯がまとまらなかった理由だったかもしれない。名門袁家の庶子だったが、人望も能力もあって跡取りになったことが正嫡のエンジュツにたいそう恨まれた理由だとされている。
連合は実入りもないまま解体していたが、都を捨てた傀儡の陛下に代わっていっそ人望があるリュウグ(劉虞)を新帝に推してはどうかという声が上がるようになる。そもそも当人が乗り気ではなくこの案は頓挫するのだが、これに強硬に反対する人が二人いた。エンショウが大嫌いで今や従兄の言うことには何でも反対するようになったエンジュツ、そしてリュウグその人に嫌われているコウソンサン(公孫サン)の両名だ。コウソンサンはその勇猛さで「白馬長史」と呼ばれていたが、野盗まがいの人物でリュウグが北方異民族の鎮定に尽力していた当時、たびたび彼に襲いかかっては物資を略奪していたから登極などされたらたまったものではない。二人が手を結ぶのは互いに願ったりだった。
北はコウソンサンが、南はソンケンが諸侯の領地を荒らしてまわる。追われた者はエンショウに保護を求めたから、従兄と従弟の対立が日に日に鮮明になっていく。長安に逃げたトウタク派も健在だったから、それぞれの派閥に関わる、あるいは傍観する諸侯が割拠する事態になる。
この情勢で、コウソンサンの同門としてエンジュツに推薦された一人の人物が登場する。中山靖王が末孫。傍流ながら皇族の末裔を自称する異相の人物リュウビ(劉備)が現れたことでその後の歴史が急転したかといえば別にそんなこともないのだが、世の中には大器晩成という言葉もあってやがて彼が三国志の時代を支える主役の一人となる。
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